最後の会話

マイクロソフトの田中達彦です。

2011年12月21日のこと。
Windows Phoneハッカソンの懇親会が終わり、社員で話をしていた。
Windows Phoneについて、かなり話が盛り上がっていた。
純粋にプログラムを楽しめる、久々のプラットフォームだと。

川西さんは、「Windows Phoneはベーマガのようだ」と言っていた。
今、開発者として活躍している40代くらいの人の中には、10代の頃ベーマガに掲載されていたプログラムを打ち込んでプログラミングを学んだ人も少なくない。
そういう僕も、最初に手にしたPCに初めて打ち込んだプログラムは、ベーマガに載っていたなわとびのゲームだった。
Windows Phoneは、プログラミングをするときの敷居が信じられないくらい低い。
ベーマガはプログラミングの敷居を下げて、プログラミングの面白さを多くの人に伝えた。
それと同じ感触が、Windows Phoneにあると話をしていた。

川西さんは、「Windows Phoneのすばらしいところは、自分のアイデアをすぐ形にできることだ」と言っていた。
すごく同感。
Windows Phoneは、ひらめいたアイデアをすぐに形にできる。
僕自身も、Windows Phoneはメインの担当ではないのだが、面白くてついついWindows Phoneのプログラムを書いてしまう。

川西さんは、「昔、ベーマガが多くの開発者を育てたように、Windows Phoneでいろいろな人がプログラミングを始めてくれるといいよね」と言っていた。
このように、Windows Phone談義をしていた。
もっとWindows Phoneが広がると、若い人たちにプログラミングの楽しさを伝えられるのではないかと話をしていた。

話をしながら片づけも終わり、オフィスの31階のセミナールームから25階の自分たちのフロアに戻る。
川西さんは帰り支度をしている。
田中 「まだ新幹線あるんですか?」
川西さん 「44分が最終だから、まだ間に合うよ」
田中 「結構遅くまであるんですね。お疲れさまでした~」
川西さん 「お先に」
ごくごく普通に、日常しているような会話をして、川西さんはオフィスを出て行った。

まさか、それが最後の会話になってしまうとは。

川西さんこと、川西裕幸さんは、その日最寄駅から自宅に帰る途中で交通事故にあってしまった。
それから約1か月。
復帰してくれることを願っていたが、かなわなかった。
2012年1月20日に、川西さんは永眠された。

もっともっと教えてもらいたかったし、話もしたかった。
なぜなぜなぜと、繰り返すばかり。
もう川西さんと話ができないと思うと、何も考えられなくなる。

明日、1か月ぶりに無言の川西さんと再会する。

[川西さんのブログ]
https://blogs.msdn.com/b/hiroyuk/