なぜに時代は幸せな方向に向かわないのか

コンピュータやネットワークの低価格化と高速化、開発ツールの充実、ITシステムを構築するためのインフラはそれほど貧弱ではないはずなのに、なぜに時代は幸せな方向に向かわないのでしょうか。

あいかわらずソフトウェア開発の世界は3Kに相当するような形で紹介されてしまうし、IT Proも高い評価を受けづらい。

実力がある人が十分活躍できる時代とは言えず、マネーゲームに走って実態のないものを転がすだけの最近の世の中において、テクノロジーを社会に適用して価値を生み出すという正論はなかなか通用しないみたいです。

知人に聞いた話ですが、ある企業では、一人分の仕事を3から5人くらいで分担して、あたかも大変な仕事だ、みたいな感じで振舞っている方が評価されたりするそうです。ITを活かして生産性を高めるとか一人の生産力を高めるなんて話しは、かえって邪魔らしいのです。その企業では、一人が自分の責務を完全に果たさず、すぐに外部委託して、戻ってきた結果をあたかも自分の成果のようにアピールすることが仕事の標準になっていると聞くと、私のようにChannel 9で多くの責務を一人でカバーしている立場からは到底考えられない世界です。

深く話しを聞けば聞くほど、一人当たりの能力が高いことが要求されず、仕事のための仕事を生み出すという非生産性の高さが要求されるようです。
これが特に日本の社会における最近の問題ではないかと、その知人とは議論を続けています。

考えることを努力しないソフトウェア技術者が増えている、とも聞きます。サンプルなどをネットで検索し、まともな例外処理も考えないまま、実プロジェクトに適用してしまうそうです。誰でもできることを作業するだけだったら、技術者である必要はないのでは、という疑問がわきます。繰り返せばいいことは、コード生成ツールを作るなりして、自動化してしまえばいいはずです。参考書籍がないから、このツールは使えない、と平気でネット上に書き込む若い人々もいます。自身のおろかさをネットにさらしていることに気が付かないのでしょうか。

おろかな考えの下に仕事をしていると、発想は幸せな方向には向かわないのでしょう。どうにかこうにかやり遂げるというマネージメントが存在していない組織が増えているのではないでしょうか。日本国内での企業の不祥事を見るたびにそう感じます。

こんな時代だから、切磋琢磨を続けていきたいものです。